影山優佳 人口上位2%の“天才集団”加入の意外なきっかけとは「これ以上人に迷惑かけたくないなと」

元日向坂46で女優の影山優佳(24)が28日放送の日本テレビ「アナザースカイ」(土曜後11・00)にゲスト出演。MENSA加入のきっかけを明かした。 【写真あり】影山優佳 人気女優&元サッカー日本代表夫婦との仲良し集合S大公開 撮影現場で久々再会  MCのお笑いタレント・今田耕司は「影山さん、凄いのはMENSAの会員でもあるんですよ」と紹介した。  MENSAとは、人口上位2%の知能指数を持つと認定された人だけが入会が許される、“天才集団”とも呼ばれる組織。芸能界ではお笑いコンビ「ロザン」宇治原史規らも会員になっている。  どうしてMENSAの入会テストを受けようと思ったのかと問われると、影山は「元々忘れ物が激しいとか、人の名前覚えられなかったり、あんまりこれ以上人に迷惑かけたくないなと思って、病院に相談に行ったのが最初で」と意外な理由を打ち明けた。  そこで「知能検査みたいなのをやった方がいいかもってなって」と話し、「頭の得意分野がとがってるって」と影山。  今田が「影山さん、得意分野にかなりパワーがありすぎるから」と納得したように続けると、影山は「でそれを生かしきれてないかもっていうアドバイスをいただいて、自己紹介としてそういうの持っといてもいいんじゃないっていうので」とテストを受けたと説明した。

Y M

Related Posts

〈紀子さまはピンクのワンピースで…〉「結婚相手が彼女だったらいいな」秋篠宮ご夫妻の結婚に両家が抱いていた“知られざる思い”

きょう6月29日、秋篠宮ご夫妻が結婚35周年を迎えられた。1990年の結婚当時、秋篠宮さまは24歳、紀子さまは23歳。2人はどのように出会われ、将来を決めたのか。紀子さまのご両親が秘めていた思いとは……。 【実際の写真】「ピンクのワンピース姿で…」結婚当日の朝、家族とあいさつを交わす紀子さま  秋篠宮さまの貴重な肉声をつづった『秋篠宮』(2022年/小学館)などの著書をもつ、ジャーナリストの江森敬治氏が寄稿した。(全2回の1回目/ 続き を読む) ◇◇◇ 大学で出会い、家族ぐるみで交流しながら愛情を深めた 6月29日に結婚35周年を迎えた秋篠宮ご夫妻。結婚までは、「礼宮さま」「川嶋紀子さん」と呼ばれた2人の恋は、東京都豊島区目白にある学習院大学のキャンパスで大切に育まれたものだった。  1985年5月、学習院大学法学部2年生の秋篠宮さまは、文学部に入学したばかりの紀子さまと大学構内の書店で初めて出会った。紀子さまの父親は学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さん(故人)で、秋篠宮さまは既に面識があった。  また、辰彦さんは、上皇さまがOBである馬術部の顧問を務めていた。こうした関係で、秋篠宮さまの両親の上皇ご夫妻と辰彦さんは以前からの知り合いでもあった。親同士面識があったことが、その後の2人の交際に大きなプラスとなった。  秋篠宮さまは、紀子さまと出会ってすぐ、当時、家族で暮らしていた東宮御所に彼女を招き、上皇ご夫妻に紹介した。それから、紀子さまは東宮御所を度々、訪問し、上皇さまや上皇后さまと一緒にテニスを楽しんだり、懇談したりして交流を深めていった。  上皇ご夫妻は、紀子さまに親しみを感じたようで、「キコちゃん」と呼んでとてもかわいがった。紀子さまは、秋篠宮さまと彼の小学校時代の友人たちを中心にして作った、大学サークル「自然文化研究会」に入会した。2人は仲間と一緒に全国各地を訪れながら、着実に愛情を深めた。  1986年6月26日夕方、学習院大学近くの交差点で秋篠宮さまは、紀子さまにプロポーズした。初めて出会ってから1年余のことだった。翌27日、秋篠宮さまはプロポーズしたことを上皇ご夫妻に報告したが、ご夫妻が驚いた様子はなかったらしい。このあたりの事情を秋篠宮さまは、周囲に次のように説明している。 「結婚する相手が彼女だったらいいな」 〈 「両親は付き合っていることは知っていましたし、私たちが結婚するのだろうなということもおそらく分っていたと思います。また、結婚する相手が彼女だったらいいな、というふうに思っていたと思います」〉  このように、上皇ご夫妻は交際を始めたころから2人を常に温かく見守り、結婚を後押ししていたようだ。そして、1990年6月29日、2人は結婚し秋篠宮家を創立したが、このとき、秋篠宮さまは24歳、紀子さまは23歳。1993年6月9日に結婚した5歳上の兄、天皇陛下よりも約3年早い結婚だった。   では、結婚について紀子さまの両親はどのように考え、どう対応したのだろうか? 一般国民の娘である紀子さまの方が、皇室に嫁ぐ、そのハードルは高かったはずであり、両親からの反対も当然、予想された。 「子供の結婚は、本質的に親の問題ではないと…」 結婚式直前の1990年5月、当時、毎日新聞の記者だった筆者は、縁あって紀子さまの両親、川嶋辰彦さん・和代さんにインタビューすることができた。同インタビューが掲載された「秋篠宮家創立、おめでとう礼宮・紀子さま」(「毎日グラフ臨時増刊」1990年7月14日発行)からやりとりを一部、紹介したい。 〈――紀子さまからご結婚の話をおききになった時、最初から賛成なさったのでしょうか。 辰彦さん 子供の結婚については、本質的に親の問題ではないと考えてまいりました。ですから、紀子からそういうニュアンスを込めた話を耳にいたしました時も、とくに僕が許可をするとか、反対するとかという問題ではないと、自分自身に言い聞かせてまいりました。   和代さん 私は、母親としての立場から、ついつい現実的なところに目が向いてしまいまして、夫の場合とは違ってまいります(笑い)。宮さまに最初にお引き合わせいただいたころから、家族の前では比較的オープンな形で話しておりました。ある時期から、紀子が宮さまとの結婚にまつわることを申しはじめましたが、はじめのうち私は、そのようなことは有り得ないことではないかと思っていたのでございます。ですから、私は紀子にいろいろな面から考えるのですよと申してまいりました。   辰彦さん 私はつねづね、次代を生きる若い世代が、その前の世代に引っ張られることがありましてはいけないのではないか、と考えてまいりました。 今回のことにつきましても、娘が熟慮した上で決心すれば、それを尊重いたしたいと存じます。〉 さらに、私は、「紀子さまが結婚する上で、両親として不安を感じませんか」と、質問した。辰彦さんは次のように話している。…

「蓮舫を出すなら私が降りる!」…候補者がブチ切れた 野田代表“まさかの擁立”の舞台裏「役員会で席を立った幹部も」

どうやら立憲民主党の蓮舫・前参議院議員(57)は“渡り鳥”になるらしい。立民は6月24日の常任幹事会で、7月の参院選に蓮舫氏を比例区の公認候補として擁立することを決定した。昨夏の東京都知事選で敗れた際、は「120万を超える人が『蓮舫』と書いてくれた。これで国政に戻るというのは私の中では違う。なんか渡り鳥みたいだ」と国政への復帰を否定していたのに……。 【写真を見る】都知事選でもブチ切れられた! 共産党による「蓮舫氏抱きつき戦略」の証拠写真  *** もっとも「彼女の擁立はスッキリ決まったわけではない」と政治部記者は言う。 「むしろ揉めに揉めたと言ったほうがいいでしょう。党幹部に『彼女を出すなら私が降りる!』と抗議した労組系の議員もいたそうです。24日の常任理事会の前に開かれた役員会では、『彼女を擁立するならこの会議を出ていく』と席を立ってしまった幹部議員までいたそうです」  そもそも立民は連合(日本労働組合総連合会)など労組の支援が大きい。 「7月の参院選では、すでに立民の比例区に労組系候補の擁立が決定していました。そこへ蓮舫氏が加わるとなると、玉突きで落選する候補が出てくるかもしれないということで、反対の声は根強かったんです」  反対の声は労組系からだけではなかった。 「5月に国民民主党が参院選の比例区に山尾志桜里・元衆議院議員(50)を擁立すると発表すると、党内や支持者はもちろんネットでも叩かれて支持率を下げ、公認を見送ることになりました。立民も同じことになるのではないかと心配する声もありました」  前述の通り、昨年7月の都知事選に敗れ、国政復帰を否定してからまだ1年も経っていないのだ。 良くも悪くも話題にはなる 「都知事選は現役の小池百合子氏(72)と蓮舫氏の一騎打ちになると見られていたにもかかわらず、2位は165万票を獲得した広島県安芸高田市の前市長・石丸伸二氏(42)で、蓮舫氏は129万票で3位。そもそも彼女は、2004年の参院選に民主党から東京都選挙区に出馬し、約92万票を獲得して3位で初当選。10年には171万票、16年には112万票を同選挙区で得て、いずれもトップ当選を果たしました。しかし、都知事選前の22年は67万票しか取れず4位に。都知事選も、石丸氏がいようといまいと、当選は難しかったかもしれません」  参議院議員の頃は、国会議事堂内でファッション誌の撮影を行って謝罪したこともあった。また、民主党政権時代には事業“仕分け人”として、次世代スーパーコンピュータの開発予算の削減を訴え「世界一になる理由は何があるんでしょうか? 2位じゃダメなんでしょうか?」と発言して総スカンを食らうなど何かと話題を醸した人でもある。 「もともとモデル出身で、情報番組のメインキャスターを務めるなど口も達者でした」  タレント時代の彼女に激しくツッコんだのが、放送作家の高田文夫氏である。伝説の深夜番組「北野ファンクラブ」(フジテレビ)の収録スタジオに彼女がやって来たときのこと。当時、流れていたCM内で舌鋒鋭く議論する彼女を揶揄し、「嫌なら、国へ帰れ!」とやったのだ。むろん洒落であり、蓮舫自身も大笑いしていた。 「当時は洒落で済みましたが、国会議員となると違います。参議員となった彼女には台湾籍と日本籍の二重国籍問題もありました。良くも悪くも話題になっている今回の彼女の出馬を推し進めたのは、野田佳彦代表(68)でした」  なぜなのだろう。 消費減税と引き換えに 「やはり今の立民には、選挙の顔となる人が少ないからでしょう。6月の都議選では彼女は党から要請されたわけでもないのに、立民候補の応援を行っていましたが、それが議席増に貢献したというのが表向きの理由です」  本音はどうなのか。 「蓮舫氏はもともと野田グループの一員でしたし、彼女が可愛いんでしょうね。野田代表は首相時代に消費増税の道筋をつけたことで減税には否定的でしたが、今回の常任理事会では『消費減税については皆さんの声を聞いて、食品ゼロに決めさせてもらいましたが、この件については私の意見を聞いてほしい』と言って蓮舫氏の擁立に頭を下げたのです」  そこまでして彼女を擁立したかったとは……。 「支持率が低迷傾向にあった国民民主は、山尾氏の参院選擁立を取り下げたことで、都議選で9議席を獲得しました。蓮舫氏の擁立を打ち出した立民は、このまま行くのか。もちろん比例であれば蓮舫氏の当選の確率は高いと思いますが、当選したら当選したで彼女の言動は注目されるでしょうし、党内にも火種は残っていると思います」  火種を抱えた渡り鳥はどこへ行く。 デイリー新潮編集部

三原じゅん子大臣が国会を抜け出して「美容整形クリニック」に行っていた! 「国会周辺での待機」指示も、アンチエイジングへ

【全2回(前編/後編)の前編】  通常国会最終盤の6月21日、参議院では異例の土曜審議が開かれていた。野党提出の法案は結局、本会議採決には至らなかったのだが、その攻防のさなか、三原じゅん子・内閣府特命担当大臣(60)は国会に背を向け、ひそかに「アンチエイジング」に精を出していた。 【証拠写真】国会を抜け出し「美容整形クリニック」を訪れた三原大臣  *** 第217通常国会は、さる6月22日に閉会。が、その前日には、野党が提出したガソリン税の暫定税率廃止法案を巡って、なおも質疑が続けられていた。 「暫定税率は現在、ガソリン1リットルあたり25.1円が上乗せされています。法案は、これを7月1日から廃止するというもので、立憲民主や国民民主など野党7党が11日に共同で提出していました。衆議院では20日の本会議で法案が可決され、続いて参議院でも審議入り。21日の財政金融委員会(財金委)で質疑が行われたのです」(全国紙デスク) 「禁足」を指示 衆院とは打って変わって与党が過半数を占める参院では、仮に本会議の採決に至っても法案成立の見込みはない。それでも、 「不測の事態に備え、自民党はこの日、所属の参院議員に『禁足』を指示していました」(同)  禁足とは「一定の場所から外へ出るのを禁じる」との意味だが、国会用語では審議や採決などに備え、各党が所属議員に対し、国会の周辺で待機させる措置を指すものである。 「おおむね本会議場まで30分以内に戻れる範囲にいることが求められます。通常は国会内をはじめ、議員会館の事務所などで待機することになる。21日の場合、全ての参院議員を間違いなく本会議に出席させるため、自民はこうした通知を出したのです」(同) 美容外科に向かう三原氏をキャッチ 会期末の土曜日に似つかわしくない緊張感が漂っていた同日、本誌(「週刊新潮」)は国会周辺で三原大臣の姿をキャッチした。2010年7月の参院選で初当選し、現在3期目。昨年10月に発足した石破政権で初入閣したご本人は、内閣府特命担当大臣としてこども政策や少子化対策、若者活用などを担う。併せて女性活躍や共生社会の分野も任命され、11月に成立した第2次石破内閣でも留任して現在に至っている。  異例の審議が続く中、閣僚はいかなる動きを見せるのか。本誌がその行方を追うと、当日の昼下がり、三原大臣が向かった先は、永田町から直線距離で5キロほど離れた高層ビルの立ち並ぶ西新宿であった。  とはいえ、都議選の投開票を翌日に控えた都庁を視察したわけでは決してない。目的地は、その近くにある複合施設に入居している美容外科であった――。 3時間を院内で過ごすと…… 美容外科業界の最大手「SBCメディカルグループ」が運営する「湘南美容クリニック」に三原大臣が到着したのは13時少し前。スタッフの出迎えを受け、そのまま院内へ。こちらで3時間余りを過ごした後、事務所の関係者らしき男性が運転する横浜ナンバーのワンボックスカーで立ち去っていった。その頃、肝心の国会はといえば、 「参院財金委に先立って開かれた理事会では、委員会での質疑後にすみやかな採決を求める野党に対し、丁寧な審議が必要だとする与党は応じず、協議はまとまりませんでした」  とは、先のデスク。 「午前中から始まった委員会はいったん休憩に入り、13時過ぎから再開されましたが、採決について与野党の合意が得られなかったため、自民の三宅伸吾財金委員長が散会を宣言しました。これに反発した立憲民主ら4党は委員長の解任決議案を提出し、本会議での採決を求めたものの、与党が多数を占める議院運営委員会はこれを否決。散会が決まり、法案は会期末で廃案となりました」(同) 「すぐ戻れるようにしておくのが原則」 かように激しい攻防が繰り広げられていたというのに、三原大臣は「禁足」などどこ吹く風、一人プライベートタイムを満喫していたのである。  政治ジャーナリストの青山和弘氏が言う。 「禁足が出されたからといって“国会周辺から全く離れてはいけない”というわけではありません。ただし外出するにしても、すぐ戻れるようにしておくのが原則です。例えば、連絡が取りづらくなる映画館やプールなどに行くことは認められません」 施術中、どうやって30分以内に国会へ戻れるのか 前出のデスクによればこの日、自民党の禁足は「16時ごろに解かれた」とのこと。一方、あらかじめ議事堂の玄関で登院表示盤のボタンを押していた三原大臣は、議員バッジを着けたまま、右手にはスマートフォンを握ってクリニックに現れている。それはまるで、 〈国会を抜け出してはきたが、いつでも連絡はつく態勢にある〉…

大阪・関西万博 来場者数「1千万人突破」で記念式典 1000万人目は山形市から来た家族 ミャクミャクらから記念品贈呈

大阪・関西万博の来場者数が1000万人に達したことを記念し、2025年日本国際博覧会協会は29日午後、会場内で記念セレモニーを行った。 【動画】大阪・関西万博 来場者数「1千万人突破」で記念式典 1000万人目は山形市から来た家族 ミャクミャクらから記念品贈呈(2025年6月29日) [写真]山形市から来たという公認会計士の浅野和宏さん家族が記念すべき1000万人目となり、ミャクミャクらと記念撮影=29日午後、大阪市此花区夢洲で 同協会によると、4月13日に開幕した大阪・関西万博で、スタッフなどの関係者を含めた総来場者数が累計で1000万人に達したという。  記念すべき1000万人目となったのは、家族と共に山形市から来たという公認会計士の浅野和宏さん、妻のえみさん、娘のゆあさん、ゆうさん家族。同協会の石毛博行事務総長や同万博の公式キャラクター、ミャクミャクから記念品として夏の期間中に何度も入場できる「夏パス」や「サマーエキスポ」を楽しむためのミャクミャク帆布バッグや冷感タオル、ミャクミャクハンディファンなどのオフィシャルグッズが贈呈された。  和宏さんは報道陣からの質問に「最高です」と笑顔で答え、家族と記念撮影に応じていた。 [写真]会場でおどけたポーズをみせるミャクミャク=29日午後、大阪市此花区夢洲で 開幕日から2か月半での1000万人到達を受け、石毛事務総長は「個人的感想としては少し早かったですが、最近のお客さんの入り方から予測は立てていました」と笑顔で答えた。  来場者からのアンケート結果についてもふれ「もう一回万博に期待という声が8割を占めている。会場にきて満足したという内容が多く、開幕初日は大変な天気で、Wi-Fiが通じないトラブルもあったが『すぐになおしたことがありがたい』という声もあり私自身もうれしくおもいます。もちろんまだ課題が多いので、一つひとつ解決していきたい」と述べていた。 また、石毛事務総長は「会場全体をみてまだまだ東側、リングの中、このあたり開拓の余地があると思っている。西ゲートそのものも活用したい。バスの便を増やし使いやすくしていますが、そういうことをやっていきたい」と意気込みを述べていた。

成功率は世界トップ、でもいくつか弱みが…日本の主力ロケット「H2A」から「H3」に 低コスト化以外にも国際市場で必要な「進化」

日本の基幹ロケットの役割をH2Aから引き継ぐH3は、打ち上げの低コスト化とともに国際競争力の確立が課題となる。関係者はH2A最終号機の打ち上げを終えた29日、日本の宇宙開発を長年担った主力ロケットの成功を喜び、H3へバトンをつなぐ決意と覚悟を新たにした。 【写真】〈美しい軌跡〉開聞岳上空に弧を描き、上昇するH2A50号機=29日午前1時33分から5分20秒間露光、南九州市頴娃町別府 機体はエンジンに着火すると、暗闇の中に白い光を放ち、ゆっくりと上昇した。プレスセンターでは、三菱重工業や宇宙航空研究開発機構(JAXA)の関係者約10人が見守った。約16分後、打ち上げ成功を伝えるアナウンスが流れると、肩をたたき合ったり、握手をしたりして喜んだ。  「H2Aで得た技術と経験をH3に受け継ぎ、日本の宇宙輸送システムの向上を図る」。打ち上げ後の会見で、JAXAの山川宏理事長は力強く語った。  H2Aは気象衛星「ひまわり」をはじめ、多様な衛星や探査機を宇宙に運んだ。07年に三菱重工業が打ち上げ業務を担ってからは、民間や海外の衛星も輸送するようになった。  成功率98%は世界トップレベルを誇るが、打ち上げ費用の高さは課題の一つ。H3は主エンジンを補助する固体ロケットブースターなしの打ち上げで、費用をH2Aの半分の約50億円とする目標を掲げる。25年度中の打ち上げを予定するH3の6号機は、その新形態への挑戦となる。 国際的な打ち上げ市場は米スペースXの再利用型をはじめ、技術革新や価格破壊が進み、競争が激化する。三菱重工業の五十嵐巖部長は、低コスト化に加え、「打ち上げ回数の多さや複数の衛星相乗りなど、ユ-ザーが求める輸送サービスを提供し、H3を進化させることが必要だ」と気を引き締めた。

66歳で熟年離婚→20歳下女性と再婚の大物タレント夫婦で登場 最後は涙…藤井隆「綺麗な奥さま」「すごい!」驚き続々

ABCテレビ「新婚さんいらっしゃい!」が29日、放送され、77歳の大御所タレントがラブラブで登場した。 【写真】20歳下女性とラブラブ登場の大御所  25年以上続いた「突撃!隣の晩ごはん」でも知られるヨネスケこと落語家の桂米助(77)で、20歳年下の妻・陽子さん(57)と仲良く和装で出演した。  MCの藤井隆が「また綺麗な奥さまと」と口にすると、ヨネスケは「ラッキーでした」とデレデレ。2015年3月、66歳で熟年離婚し、10年間独身で、寂しさもあり飲み歩く日々だったが、共通の友人を介して3年前に知り合い、昨年、再婚した。番組では、横浜市内の2LDKの2人の愛の巣も訪問。話を聞いた。  陽子さんが、小学校の時に好きだった芸能人が(1)松平健 (2)杉良太郎 (3)ヨネスケ--だった、と渋好みだったことを明かすと、藤井は「すごい!」「考えられない!憧れの人と」と驚いた。  2人は交際当初から交換日記をつけており、そこには「死ぬまで一緒だよ」「帰ってきたら一緒にぬれ煎餅を食べようね…」などと書かれており、藤井は「すごいですね!師匠!こんなにもできないですよ」とラブラブぶりとお互いを思い合う気持ちに感心。最後は、陽子さんの母親(87)から寄せられた感謝の手紙が読みあげられ、ヨネスケが「いやー、うれしいですね。一生連れ添っていきたいと思います」と涙していた。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *