初めてのワールドシリーズ制覇を成し遂げたあと、大谷翔平選手がことしもNHKのインタビューに応じた。去年受けた右ひじ手術のため、指名打者に専念して臨んだ2024年。成し遂げた偉業の裏にあった数々の試練と決断、そして頂点まで至った道のりの舞台裏をみずからのことばで語り尽くした。NHKスペシャルの取材班が大谷選手と向き合ったおよそ45分間。その一部始終をお届けする。(スポーツニュース部記者 山本脩太)
あれ?後ろの髪が…「お願いします」というあいさつとともに、私服姿でさっそうとインタビュー場所に現れた大谷選手。いすに座って用意してあるカメラを大谷選手がぐるりと見渡した瞬間、私たち取材班はいきなり驚かされた。後ろの髪がピンと跳ねていたのだ。
正直、かなり目立つ…。思い切って声をかけると、大谷選手は「別にいいっすよ」と笑顔。「いまリハビリをやって来たので、ずっと寝てたんですよ」とはにかんだ。私が後ろにまわって髪を押さえたが、しっかりとクセが付いていてなかなか収まらない…。
結局、用意していたミネラルウォーターを少し手に付けて何とか髪を押さえつけた(途中、やっぱり少し上がってきてしまっていたが…)。ことしのインタビューは、ちょっと笑えるアクシデントからスタートした。Q.(脱臼した)左腕はつってなくても大丈夫なんですか。「(愛犬・デコピンの)散歩に行くときとか、そういうときは付けてますけど、こうやって座るときは全然外してます。散歩はドッグラン行ったりとか自分の家で走らせたりとかなので」歴史的な1年を振り返ってQ.改めてことし1年本当にすばらしいシーズンを戦い抜いて、今どのように振り返っていますか。「まあ長かったなっていう、はい。最後の1か月がやっぱり、最後があるかどうかでだいぶシーズンの印象というか、長さも違いますし。今終わったあとも本当にあっという間に次のシーズンというか、次のスプリングトレーニングが来るんだろうなっていう感覚なので。そこはやっぱり時間の感覚というのはちょっと違うかなと思います」Q.最後の1か月は体力的にも相当しんどかったですか。「ポストシーズンという意味での最後の1か月でいうと、どうなんすかね。初めてだったので。終わってみれば長かったなという感じでしたけど。やってる最中はそれはあまり考えることはなかったので、本当に1戦1戦の勝負というか。レギュラーシーズンとは違う試合が多かったので、あまりやってるときは考える余裕はなかったかなと思います」
初めてのポストシーズンを戦い抜いたQ.バッター1本で臨むとわかっていたシーズンで、当初の目標みたいなものは何か設定していたんですか。「目標はない、目標ないって言うとあれですけど、その設定しづらいというか。もちろん、ある程度(試合に)出ることは目標にはしていましたけど。実際にどの程度リハビリをしながら新しい1年目のチームの中でどうやって出ていくのかっていうのも、やりながらになるかなとは思っていたので。1年間安定して出られたという点では、片方だけでもリハビリをこなしながら出られたという点で言えば、いいシーズンだったなと思っています」急増した盗塁 “走りたいと思っていた”Q.残った数字についてはいかがでしょう。59盗塁には相当驚かされました。「もちろん数字も、はい。よかったともちろん思っていますし。まあどうなんですかね、打撃の成績だけで言えば、もちろん違うスタッツ(数字)ならほかの年で高いところももちろんあるので。59盗塁がそのスタッツと比べてどうなのかという判断はちょっとわからないですけど。もちろん走りたいなとは思っていたのでずっと。よかったんじゃないかなとは思ってます」
自己最多のシーズン59盗塁を記録Q.月別で見ると7月以降に43盗塁。後半にかなり積み上げましたが、1番に定着して以降、より盗塁への意識が高まった部分はありましたか。「まあ途中ちょっと足の調子がよくない時があったので、走り始める前に。なのであまり行くシチュエーションというか、(盗塁の)企画自体があまり。しようかなっていう状況が1か月ぐらい無い時があったので、シーズン前半の方はあまり企画自体がなかったのかなと思います。5月くらい、(開幕して)1か月ちょっとくらいしたあと、ちょっと状態がよくなかったので。行っても、多分あまりマックスで走れないので、あまり成功しないんじゃないかなっていうシチュエーションだったのであまり行かなかったですね。ハム(太もも)の違和感はよくあるんですけど、1回違和感があるとちょっと長かったりするので」(※大谷選手は5月16日のレッズ戦でけん制球が太ももに当たるアクシデントがあった)バッティングは「運」の要素もQ.8月は少し打率も下がりましたが、9月のあれだけの絶好調につなげました。去年のインタビューで「コツをつかむ時は一瞬」という話もありましたが、ことしもそういう瞬間があったんでしょうか。「8月はやっぱり運ですかね。うん。運がなかったなっていう、単純に。インフィールドに飛んだ打球に対して、ハードヒットしてもなかなかヒットになるというパターンが少なかったので。逆に9月はどちらかというと運がすごくよかった月なので、単純に数字がよかったなっていう。やっぱりハードヒットを打てる割合であったりとか、コンタクトする割合であったりとかというのがいちばん調子うんぬんには関わってくると思うので。多少やっぱり8月の方が悪い数字は出ていたとは思うんですけど、それよりもやっぱり運がなかったなというのがいちばん。逆に(8月も)ホームランになる打球は、ホームランにちゃんとなってはいるので、それ以外の打球っていうのが、やっぱりなかなか長打になるべきところで捕られている。まあ(守備の)シフトもあるんですけどね。捕られてというのがちょっと多かったので、数字がちょっと8月は伸びてなかったのかなと思いますね」Q.9月には「打撃の質の先が見えた」という発言もありました。ことし一皮むけた部分、つかんだ部分はどういう部分でしょうか。「最後はね、よかった。よかったというか何かまた新しい感じが出てきて、バッティングの中で面白かったなというので終われたので。そこはそこでよかったかなとは思うんですけど。どれが一番いいとかではなくて、引き出しとしてたくさんあることがいい打者の条件でもあるとは思うので。ここからのキャリアにつながっていく打席が多かったかなと思います」
打率.310 54本塁打 130打点はいずれも自己最高求めていた“ヒリヒリする9月”はQ.そして、大谷さんが2021年におっしゃっていた「ヒリヒリした9月」をことし過ごせたことは、どう振り返っていますか。「ただただ、楽しかったですね。地区優勝して勝率も1位、メジャーの中でも1位ではあったんですけど、思いのほか楽ではなかったというか。もちろんチームメートもすばらしかったですし、すばらしい戦いをしていましたけど。1試合1試合、やっぱり逆転の試合も結構多かったりとか。1試合に勝つという中でも、あまり楽に勝てる試合はそこまで多くなかったなと。下からパドレスが追い上げてきたりとか、ゲーム差も埋まって自分たちが追い上げられてきてというところではあったので。多分、外から見てるよりはシビアな試合が多かったなと思いますね」
優勝争いで重圧のかかる9月も活躍 史上初の「50-50」を達成したQ.モチベーションという意味では、これまで過ごしたことのない9月だったとも思いますが、その部分ではどうでしたか。「うん。そうですね。まあ勝てないは勝てないで、やっぱり悔しい気持ちだったりとか。それでもグラウンドの中で自分のプレーをしなければいけないというモチベーションはもちろんあるので。また違うところではあると思うんですけど。やっぱり勝ちに対して、ポストシーズンを見据えて地区優勝したい、リーグ優勝したい、勝率も1位になりたいというのはまたワンランク上のモチベーションがもちろんあるので。みんながそこを目指していますし。そういう意味では、やっぱり特別な月だったなって。最後の1か月は特に特別だったなと思いますね」初めてのポストシーズンはQ.そういう意味で忘れられないのは、何と言ってもパドレスとの地区シリーズ第1戦での同点スリーランホームランです。本拠地で1回にいきなり3点を先制され、厳しい立ち上がりの試合でした。「うん。振り返ってパドレス、やっぱり相当強かったなというか、すばらしいチームだったなという。その初戦、大事な試合だったと思いますし、自分の中でも初めてのポストシーズンの試合でああいうところで打てたというのは、今振り返ってみてもやっぱりいい打席だったなと思いますし、流れを作る上でもよかったなとは思いますね。自分の中で思い出に残る打席だったなと思います」
ポストシーズン初ホームランで同点に追いついたQ.チームを勇気づける1本だったと思いますが、大谷さんの望んだとおりの結果でしたか。「一気に同点にしようみたいなのはもちろんなかったですね。序盤ではあったので、一、二塁でしたし。もちろんヒット1本で得点して一、三塁とかでもいいですし。もちろん長打で2点でもいいです、フォアボールで満塁でもいいし。とりあえず次につないでいくというのが短期決戦では大事なので。まあ結果的には最高の形になりましたけど、そういう気持ちがチーム全体として僕の前に出てくれた2人もそうですし、そういう気持ちがやっぱりつながっていくのかなとは思います」“常勝軍団”ドジャースとはQ.ことしベンチの中でもチームメートと話し込む場面も多くありましたが、それもドジャースの文化ですか。「うーん、まあ各チームもちろんあると思います。色はあるとは思いますし、チームリーダーがいてみたいな感じはあると思いますけど。やっぱりうちはベテランの選手が結構多いので、一人一人がやっぱり自分たちの役割をしながら、かつチームバッティングに徹する場面もかなり多いですし。本当に勝つことに対してコミットする、フォーカスしていくというのがやっぱりいちばん。僕はオフェンス側でしかことしはいなかったので、特にオフェンス陣に関しては自分も参加してみてそういう選手たちが多かったなと思います」
試合中にT・ヘルナンデス(中央)と話し込む大谷Q.それは去年まで外から見ていたドジャースの印象と、ことし中に入ってみて全然違うものでしたか。「違いますねやっぱり。もちろん戦力、すばらしい選手たちも多いというのもあると思うんですけど。やっぱり外から見てると『やっぱり単純な戦力差かな』というか。それはね、いい選手たちがいてというふうに見えがちだと思うんですけど。実際中に入ってみて、必ずしもそれだけではないですし。むしろそれ以外のところというのが、常に勝っていくチームというのはやっぱり違うのかなと思いますね」Q.ポストシーズン全体、もちろんどのチームも強かったと思いますが、実際に戦ってみた印象はどうでしたか。「実際にパドレス対ヤンキースがあったり、メッツ対ヤンキースがあったわけではないので、そこに序列をつけることはできないのかなとは思うんですけど。やっぱり追い詰められたという事実もありますし、スコア的に見てもやっぱりパドレス戦がいちばんチームとして苦しかったというか、いっぱいいっぱいだったなというのはみんな感じているのかなと思いますね」
第2戦と第5戦ではパドレス先発・ダルビッシュの投球術にも苦しめられたQ.ああいった戦いをこの7年求めていたんでしょうか。「求めていましたし、やっぱりパドレスも敵地に行ったときにすごかったので。やっぱりシーズン中に行く、もちろんシーズン中もすごいんですよね。サンディエゴすごいんですけど、またひと味違った雰囲気というか、ちょっと殺伐としているようなスタジアムの雰囲気というのは特別だなとは思いますね」Q.「あと9年、これを経験したい」と。「そうですね。もちろん最後まで毎年のようにプレーできればうれしいですし、そうなるようにもちろん頑張っているので。はい。そうなるように来年もちろん投手として復帰すると思うので、そこも含めてもう1回頑張りたいなとは思ってます」ワールドシリーズの試練 人生初の肩脱臼Q.ここからはワールドシリーズでの左肩脱臼についてお話を伺います。脱臼は今まで経験したことはあったんですか。「いや、初めてでした」Q.(当時の映像をタブレットで見ながら)いま振り返ってみて、このとき技術的な反省はあるのでしょうか。「走塁を含めてもちろんありますね。ジャンプ(スタート時の反応)自体もそこまで良くなかったというか。2アウトではあるので、逆に言えばアウトになってもいいというか、スコアリングポジションに行くかどうか。テオ(テオスカー・ヘルナンデス選手)が打席だったので、そういう場面でチームの方針ではあるんですけど。セーフになるのがいちばんいいんですけどね。ここは勝負するところだと思って行っているのでという感じですかね。ジャンプ自体がそこまで良くはないなというか」
映像を見返して思わず顔をしかめたQ.焦りみたいなものもあったんですか。「五分五分かなと思いました。(キャッチャーから)ジャストボールが来ているので、そこが来た時点でアウトかなあという感じではありましたけど。ギリギリよけながらスライディングして『どうかな?』というところで、避けた結果が(肩が)外れたという感じでしたね」
感じていた左肩の異変Q.よけようとしたのが、けがにつながったんでしょうか。「それももちろんあります。今やっぱり振り返ると、左肩結構痛かったので、蓄積というか。なんて言うんですかね。痛んでいたところ、外れやすくなっていたところで外れやすい角度に入って外れたという感じかな。よけにいって」Q.蓄積、があったんですか。「やってるときはやっているときで、シーズン中は蓄積しているかどうか分からなかったんですけど。『なんかきょう左肩痛いな』という日があったりしていたので。実際に外れてみて、こうなってみて同じような痛みというか、それのひどい版という感じではあるので。『あーやっぱり蓄積していたんだな』というのは、ドクターとかと話していて」Q.けがの後、チームがニューヨークに向かうバスの中で、大谷選手が選手だけのテキストグループにメッセージを送ったという話がありました。あれは、心配をかけたくないという気持ちからだったんですか。「心配をかけたくないというか、ユーモアというか。フフフ。別に何か深刻になって欲しくもなかったですし、もちろん僕が出れるかどうかわからなかったですけど。僕は無理かなと思っていたんですけどね。どうなるかわからなかったですけど、チームは先に行ってて、僕は残ってMRI(精密検査)を撮っていたのでという感じですかね」けがをしながら出場を続けた試合Q.第3戦の最初スイングを見たとき、目をぐっと開けている姿を見てかなり痛そうだと分かりました。「もちろん覚えています。我慢できるというか、スイングで外れるということはもうないかなっていうことで、角度的に。右(肩)だったら多分(試合に)出られていなかったと思うので、もちろん1発目の打球なので痛いよっていう(笑)。何回も繰り返している人ではないので、ルーズではあるんですけど。逆に言えば、慣れれば痛みがそこまでひどくないような感じでしたね。僕も初めてだったので、2日後3日後はどういう感じなのかなって分からなかったし、注射とか痛み止めを打って痛くないのであれば、まあ全然出ることは拒みはしないよというか」
左手で胸元を押さえながら走ったQ.それはやっぱりチームがラインナップに大谷選手が必要だと言ってくれたことが1つ励みになったんでしょうか。「そうですね。そうじゃないと出ないですし、自分のもちろん100%のパフォーマンスじゃない状態で出て、僕も迷惑はかけたくないですし。チームとしてプラスでないのであれば別に出ることはないと思うので。それでも出て、逆にその状態で出ても打ってくれるというのもありますし、打線にいることで相手のブルペン陣も含めて(自分の存在が)プラスになるのであれば出たいなと思っていたので。状態を確認して、という感じで出ました。本当に詳しい検査というか、状態を確認しながらというのはわからなかったですけど、おそらく(手術は)するだろうなという感じではあったので。終わったあとに来年に響くということはないので、シーズン終わったあとに手術してリハビリをするのに抵抗はなかったので大丈夫でした」Q.舞台が舞台なだけに、「よりによってなんでこの場面で…」とは思いませんでしたか。「ケガするときはもちろん、肘もそうですけどね。なんでという事はないですかね。やっていればケガする。事故的なケガもあれば慢性的なケガもあるので、なんでということはないですけど。はい。やった瞬間は『ああ、もう出れないかな』という感じではありましたね」元通訳の裏切りと決別 初めて語る胸の内Q.今年1年を振り返る中で、元通訳に関して起こったことの当時の心境についても、大谷さんの1年を記録するという私たちの番組では伺いたいと思っています。事件を知りたいということではなく、当時大谷さんがどういう思いだったのか、どう乗り越えてこられたのかを伺いたいと思います。今、どういうふうに記憶に残っていますか。「韓国にいたので、なんでしょうね…。僕の中ではまだ終わっていないというか。まだ続いていることではあるので。今その時がどうだったか、みたいなことではなくて。それがずっと続いているという感じなんですけど。グラウンドでそれをどうのこうのみたいなのはなかったですね。僕は僕で、別に…。負い目を感じる事も、ないので。何を言われても自分の仕事をしたいなというか。自分がむしろ好きでここまで小さい頃からやってきて、やっと来られたこういう所で、そういうふうに思ってプレーすること自体がもったいないというか。『そこはそこ、ここはここ』という感じではあったので。新しいチームでむしろ自分も新しいスタートではあったので。あまりグラウンドとプライベートというかグラウンド外のところで引きずるというのはなかったですかね。ラインナップ(打線)の1人として早くチームになじみたいなとか、ファンの人に認められたいなと、チームの一員としてね。という感じで特に4月、5月くらいはやっていたので。6月くらいからようやくチームに慣れてきたという感覚でプレーをしていましたかね」Q.会見の時は「悲しくてショックだった」とおっしゃっていたが、元通訳を責める言葉は当時なかったと記憶しています。当時、大谷さんの思いはどういう所からだったのか伺いたかったんですが。「どういう思い?会見の時は、本当になんでしょう。正しいことを説明するというのが目的ではあったので。そこに集中というか、はい。このこと自体の正しい見通しというか、起きてることの状況説明がメインではあったので。そこに努めていたという感じですかね」
会見では終始冷静な表情で状況を説明したQ.元通訳のことで気分が沈むことは、グラウンドではなかったですか。「グラウンドではなかったですね、もちろん。そこはもう切り替えてというか、別だったので。はい」Q.私生活ではありましたか。夜寝るときなど。「私生活では、いやもうやることが多すぎて。いろいろな人と話さないといけないし、あの状況説明も含めてね。なので単純に時間がないというか。本当にそういうのを午前中とかゲーム行く前にやって。球場に来て『はい、プレーです』みたいな感じなので。まあ時間がないなっていう感じでしたね、最初のほうは。時間を取られてるという」今回の取材で私たちは水原一平元通訳の違法賭博問題について大谷選手の思いを初めて直接聞いたが、印象的だったのはその表情がまったく曇らなかったことだった。当然、聞かれたくはない質問だろうと考えていたし、質問する前は「一切答えたくない」と言われることも想定していた。しかし、実際に質問した時の大谷選手は、いつもと同じようにまっすぐに前を見て、いつもと変わらぬ表情で答えてくれた。エンジェルス時代から6年以上苦楽を共にしてきた2人。シーズン当初の大谷選手のショックは計り知れないと思っていたが、これだけすばらしいシーズンを送った今、その悲しみはとうに乗り越えたものとばかりどこかで考えていた。それだけに「僕の中では終わっていない」という想定外の答えは、心に重く響くものだった。二刀流復活の2025年へ 明かした覚悟Q.改めて2024年っていうものを大谷選手の野球人生の中で捉えたときにどんなタイトルがつけられそうですか。「今年1年ですか?なんですかね、わかんないですね(笑)。最後の終わりはもちろんすばらしかったので、僕はそれで満足していますし。また来年に向けていい活力をもらったなと思っているので。ことしはいい年だったなあと思って、最後みんなでお祝いしながら終わることができたので。最高だったなと思ってます」
Q.来年ピッチャーに戻る中で、去年のインタビューで「もしもう1度手術をするようなことがあったら、配置転換もあると思っている」とおっしゃっていました。それくらいの覚悟で臨むということでしょうか。「それはあると思います。もちろん2回目の手術ですし、年も中堅からベテランになってくる年の中で、例えばもう1回手術をする機会が訪れたときに、また1年半リハビリをしてやっていくというのは、あまり現実的ではないと思うので。そう考えると、やっぱり最後のチャンスなのかなというふうには思いますね」Q.長年の夢だったワールドチャンピオンの夢もかなえて、次はどういうものをこれから9年間見据えながらプレーされていくんですか。「それはもう、うまくなりたいという。シンプルに。そこだけかなと思いますね。ワールドチャンピオンというのは、チームのシーズンの目標ではあると思うんですけど。野球人生の大きなくくりで言えば、そういう通過する中での1つのタイトルなので。1番の1番自分がやりたい目標というのは、野球自体がうまくなって、自分が現役のうちにどれだけ多く自分が納得できるものを残していけるかということなので。その中で試合があって、結果があるみたいなことだと思うんですけど。1番の大きいところは変わらないかなと思います」
Q.まだまだ到底、納得できないですか。「まあ、もちろん良いペースで来てるなと思いますけど。これが100点満点のペースではもちろんないですし。これから先、そのペースに追いついていくかはもちろんわからないことではあるので。どうなっていくのかも含めて楽しみにしたいなと思っています」Q.大谷選手は、勝つことで何が得られると思いますか。「勝って得られることもあれば、負けて得られることももちろんあると思うので。なんでしょうね。まあでも、やっぱり勝っていい経験をしてきたから、ここまで頑張れたのかなというのがあるので。負け続けてきたら多分ここまで頑張れなかったのかなって。そこまで強くはないのかなと自分では思うので。勝ってきたという経験が、もちろん負けたときの悔しさをさらに伸ばしてくれる原動力になるのかなと思います」
Q.ことし本当にいろいろなことがありましたけど、大谷選手が1番幸せを感じたことって何だったんでしょうか。「幸せを感じたこと、ことしのシーズンでですか?」Q.1年を通してですね。「なんですかね、デコの始球式が成功した時じゃないですかね(笑)。ハハハハハ。冗談抜きに1番緊張していたので。どの打席よりも緊張しました」Q.めちゃくちゃ練習したんですか。「いや。というか、もううんちしないかなとか。そっちの心配ばっかりしていました(笑)」
終わりに最後は、愛犬・デコピンの始球式の話で終わったことしのインタビュー。チームの関係者によると、実は前日に大谷選手はドジャースタジアムのマウンドでデコピンと始球式の練習をしていたというのだ。「合図したときに、万が一外野の方に間違って走って行かないように」と。どこまでも準備を怠らない、大谷選手らしいエピソードだと感じた。エンジェルス時代の2021年から、毎年オフに番組のインタビューで大谷選手に話を聞いてきたが、そのたびに語ってきたのは「野球がうまくなりたい」、そして「勝ちたい」という強い思いだった。ドジャースに移籍したことし、1年目からワールドシリーズ制覇という夢をかなえた中でも、その思いは全く変わることはなかった。これだけの偉業を成し遂げてもなお「100点満点のペースではない」と言い切る大谷選手。投打の二刀流で来シーズンはどんな進化を見せてくれるのか。きっと私たちが想像する、さらに上を悠々と行く姿がそこにあるはずだ。
(12月29日「NHKスペシャル」で放送)