価格高騰や備蓄米放出など米に揺れる2025年初夏、富山県でコシヒカリの田植えに取り組む男性がいる。かつて「軟式globe」として一世を風靡したパークマンサー(47)だ。5年前から米や野菜を生産する彼が、芸能界からどのようにして農業の道を歩むことになったのか。『ABEMA エンタメ』の密着企画「NO MAKE」がパークマンサーを直撃した。 【映像】農業にいそしむ現在の姿
農家としての現在「作ったものはほとんど売り切れています」
【写真・画像】『学校へ行こう!』終了で仕事が激減…兼業農家になったパークマンサー(47)、どん底の日々を回顧 2枚目
2020年から地元富山県で農業を営むパークは、化学肥料や除草剤を一切使わない栽培にこだわる。現在、米と7種類の野菜を生産し、借りている農地はテニスコート約75面分に相当する2ヘクタールにも及ぶ。 「やっぱり美味しそうな方が売れるかなって。うちの野菜の美味しさの定義を考えた時、作っている人の顔が見えた方がいいと思ったんです。パークが笑顔で楽しそうに育てているから美味しい、そう思ってもらいたい」 収穫した農作物はSNSで認知を広げ、卸業者を介さずオンラインショップで直接販売。「作ったものはほとんど売り切れています。好きなものを買え、美味しいものを食べられ、好きな所に行けるくらいは収入がある」と現状を語る。
『学校へ行こう!』終了後の苦難の日々
【写真・画像】『学校へ行こう!』終了で仕事が激減…兼業農家になったパークマンサー(47)、どん底の日々を回顧 3枚目
しかし、現在の安定した生活を手に入れるまでには、長い苦難の道のりがあった。2005年『学校へ行こう!』終了後、役者に挑戦するも出番は少なく、収入が激減。 「完全にバイトで暮らしてました。飲食のバイト。食っていくっていうのが1番重要だったので。あとは1回LDHでサラリーマンしてますね。マネージャーやってましたね。スリーポイントっていう事務所とエグザイル・エンタテインメントが合併したんですけど、僕はスリーポイント側のメンバーです」 ――なんでやめちゃったんですか? 「マネージャーをやったことによって、自分が何か別の仕事をしている時に、お前が抱えてるタレントどうなってんだよとかって急に言われて、今までちっちゃいファミリー企業だったのが、だんだん外部からそういう有能な方を引き抜いている時だったんですよ。なにこれ?ってみたいな。それで居ずらくなってやめたって感じですね。一番どん底の時は、本当に何にもしてなかったです。ずっと寝てました。寝ながら韓流ドラマを見てるっていう生活です」