芸能界引退→介護士「天職です」 元タレント岩佐真悠子さん、転機はコロナ禍「中卒で何ができるんだろう」

岩佐さんは芸能界引退後に結婚・出産…西田美歩さんと対談

介護士として活動する岩佐真悠子さん(左)と西田美歩さん【写真:舛元清香】

日本では2000年に介護保険制度が創設され、今年で25年を迎えた。しかし、介護を支える現場は低賃金、長時間労働、人手不足などいまだに問題が山積する。そんな環境下をものともせず、介護士として元気に活動しているのが元タレントの岩佐真悠子さんと西田美歩さんだ。岩佐さんは「いわまゆ」の愛称で親しまれ、2000年代にグラビアを中心に活動。俳優としても活躍し2020年に芸能界を引退した。西田さんは情報番組のレポーターなどを務めて昨年事務所を退所し、フリーランスで介護タレントと称して活動している。長年の友人である2人は芸能活動での経験を生かし、介護士として介護の情報を発信し続けている。ENCOUNTは2回にわたり、岩佐さん、西田さんの活動を紹介する。前編は介護の世界に入ったきっかけについて聞いた。(取材・構成=福嶋剛) 【写真】雑誌グラビアに引っ張りだこ…約20年前、岩佐真悠子さんの女優時代の振り袖姿 ――介護士としてのお2人の活動(『介護士・岩佐西田トークライブ』)が昨年、メディアで取り上げられ話題になりました。 西田「普段は介護士としてそれぞれの現場で働いていますが、岩佐と2人で介護の今を知ってもらいたいと思い活動を始めました。手作りなので規模は小さいですが、ありがたいことにメディアのみなさんに取り上げていただきました。『介護を考えたり、知るきっかけになればいいな』と思っています」 岩佐「『介護は家族でやらなきゃいけない』とか、『相談する人がいない』とか全国には困っている人たちがたくさんいると思います。そんな人たちに『1人で頑張らなくても大丈夫ですよ』って、ちゃんと情報を届けてあげたり、孤立を防ぎ、不安を取り除いていきたいです」 ――お2人の出会いは。 西田「『ミスマガジン2003』(ミスコンの一つ)で出会いました。私はもともと喜劇が好きで役者を目指してエキストラの仕事をしていました。それで当時のマネジャーに勧められてミスマガジンに応募しました」 岩佐「私は高校生の頃、渋谷でスカウトされて、初めは全く興味がなかったのですが、せっかくなので、『どんな世界かのぞいてみよう』と思って芸能界に入りました」 西田「岩佐がグランプリで私は読者特別賞。そこから今までずっとくされ縁です」 岩佐「昔からどんなに忙しくても相談できる相棒です」 ――そんなお2人がなぜ介護の道に進もうと思ったのですか。 西田「芸能活動を続けていく中で誰かを支える仕事がしたいと思い、最初は家から一番近いところで働こうと思いました。するとスポーツジムのような施設を見つけたので入ってみるとリハビリ型デイサービス(要介護認定を受けた人がリハビリなどを日帰りで受けられるサービス)でした。兄も介護士として働いていて、『介護施設は大変だよ』という話を聞いていたので私にできるのか初めは不安でした。でも、やってみると、ご利用者さんもスタッフさんもみんな明るくて、大変な面もありますが、自分には向いていると思いました」 岩佐「私はタレントや俳優としてやってきましたが、30代になり、周りが求めていることと私がやりたいことがどんどん離れて、将来に迷いが出てきました。当時はコロナ禍でお仕事もなかったので、『悩むくらいなら新しいことに挑戦しよう』と決めて、2020年に芸能界を引退しました。でも、仕事をするにも中卒で芸能界しか知らない私に『何ができるんだろう?』と考え、西田に相談したところ、介護の仕事を勧めてもらいました。西田も楽しそうにやっていたので、『私もやってみよう!』とすぐ派遣会社に登録して介護の世界に入りました」 ――介護の仕事に就いてみていかがでしたか。 岩佐「私も西田と同じで『すごく自分に向いている』と感じました。最初は特養(特別養護老人ホーム)で働き始めました」 ――特養は、入浴、排泄、食事など日常生活でほぼ介助を必要とする原則として『要介護3』以上の高齢者を対象とした介護施設です。介護の中でも非常にタフな現場と言われているそうですね。 岩佐「はい。私が働いていた特養は、9割以上の入居者さんが認知症の方で始めたばかりの私にはまだ接し方の知識が足りなかったりして、また難聴などでコミュニケーションを取りにくい方もいて最初は『どうしたらいいの?』と戸惑いました。でも、やっていくうちにトイレの訴えなど、ちょっとした表情の変化を読み取ることができるようになり、やりがいを感じるようになりました。派遣のコーディネーターさんにも、『特養でやれたらどこでもできます。自信を持って!』と言われて自信につながりました。その後、訪 問介護やデイサービス、老健(介護老人保健施設)を経て、今は有料老人ホームで働いています」 ――西田さんはリハビリ型デイサービスで6年目を迎えました。 西田「みなさんと一緒に体操をしたり、運動機能を維持したりリハビリをしてもらうことが目的なんですが、ストレスを解消してスッキリした気持ちで家に帰ってほしいのでご利用者さんとお話したり、少しでも楽しんでから動かしてもらうというのも続けていただくためには大切だと思っています」 ――そして西田さんは昨年、国家資格の介護福祉士に合格しました。 西田「介護の仕事に携わってみて、より説得力のあるものが必要だと感じました。次のステップに進む上でも資格を取ろうと思い、仕事が終わってから勉強するのは大変でしたけど、何とか合格できました」 岩佐「私も介護福祉士の資格取得を目指して、介護福祉士実務者研修を受けています。やっぱり学歴に関係なく実務経験と勉強さえすれば国家資格が取れるのは魅力です」

芸能界の経験は介護に通じるか

4月29日に東京・蒲田『ニューエイト』でトークイベントを開催する【写真:舛元清香】

――介護の仕事を続ける上でご家族の支えも大きいのでは。 西田「そうですね。私は2017年に結婚しました。夫は私の仕事を応援してくれているので安心して介護の仕事ができています。クタクタになるまで働いて家に帰ってビールを飲むのが至福の時間です(笑)」 岩佐「私は芸能界を引退した後に結婚してすぐに子どもを授かりました。うちも夫が家事や育児に協力的なので親にもサポートしてもらいながら、安心して働かせてもらっています。仕事柄、お看取り(※)などの人生の最後の時期に接することもあり、切ない気持ちになることもあるんです。でも、そんな時も家に帰って子どもの顔を見ると元気をもらえますね」 (※)無理な延命治療などは行わず、高齢者が自然に亡くなるまでの間、尊厳のある生活を送れるよう介護をすること。最期を迎えるその時まで、食事や排泄の介護といった日常の支援を行う。 ――では、元芸能人ということで介護をする上での支障はありませんか。 岩佐「私自身は何も隠すことはないのですが、万が一のことも考えて周りに迷惑を掛けないように予め施設にお話をした上で働いています。普段はマスクを付けてすっぴんで汗だくなので誰も気が付きません(笑)」 ――コミュニケーションを積極的に図ったりするなどお2人のお話を聞いていると芸能界を経験した人は介護に向いているところもあるのかなと思ったのですがいかがですか。 岩佐「天職だと思います!」 西田「もちろん人それぞれですけど、タレントさんやアイドルさんは『楽しんでもらいたい』とか『笑顔になってほしい』と全力でやっているので、そのサービス精神は介護にも通じます。私も活躍できる人は多いと思います」 岩佐「芸能人は、白鳥みたいに見えないところでめちゃくちゃ足をバタバタさせて必死に泳いでいるので体力的にも精神的にもとてもタフなんです。そういったところは介護に向いていますし、何より人に元気を与える仕事をやってきたので、たくさんの人に直接『ありがとう』って言ってもらえますし、多くの人が優しくなれる現場だと思います」 西田「4月29日に東京・蒲田駅近くの『ニューエイト』というライブハウスで岩佐と2人で介護についてのトークイベントを開催します。介護に関係ない方でも今から親について一緒に考えたり、少しずつ知っておくことで予防ができたり、役立つ情報を楽しく知っていただきたいと思っていますのでよかったらぜひ遊びにいらしてください。もし心を病んでしまうくらい芸能活動に疲れてしまったタレントさんやアイドルさんがいたら『試しに1回おいでよ!』って言ってあげたいです」 □西田美歩(にしだ・みほ)1986年、東京都出身。2003年に『ミスマガジン2003』読者特別賞を受賞し、タレントデビュー。『めざましテレビ』などのレポーター、俳優を経て、現在はフリーランスで介護職をしながら介護の魅力を広めている。24年に介護福祉士を取得。岩佐真悠子とYouTube「介護士★西田岩佐」やラジオ、イベントなどで活動中。 □岩佐真悠子(いわさ・まゆこ)1987年2月24日、東京都出身。2003年、『ミスマガジン2003』でグランプリを獲得し芸能界入り。グラビアを中心に活躍し、04年にテレビ東京系ドラマ『Deep Love ~アユの物語~』で主役で俳優デビュー。同年『第42回ゴールデン・アロー賞』グラフ賞を受賞した。14年、映画『受難』で主役と務め第23回 日本映画プロフェッショナル大賞新進女優賞を受賞。20年、芸能界を引退し、介護士として活動中。

Y M

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榛葉幹事長と細野豪志の爆笑座談会!知られざる秘話が盛りだくさん!   静岡県の某所で、榛葉幹事長と細野豪志氏の爆笑座談会が繰り広げられ、多くの政治関係者が集まりました。この座談会は、彼らの過去の思い出や秘話を披露することで、観衆を大いに楽しませるものでした。会場には笑い声が響き渡り、これまで知られていなかった二人の関係が明らかにされました。   この座談会の冒頭で、榛葉氏は「私は表に出ない裏方専門の政治家だ」と語り、その姿勢が長年の経験を反映していることを示しました。一方の細野氏は、彼の初当選や政治家としての成長について振り返り、二人が共に歩んできた道のりを語りました。特に、細野氏の「足もでかいが夢もでかい」という言葉は、会場の参加者の心に響きました。 彼らの会話は、時にシリアスなトーンから軽快なジョークへと変わり、参加者は大いに楽しんでいました。細野氏は、かつての政治活動や仲間たちとのエピソードを披露し、その中には思わず笑ってしまうようなエピソードが満載でした。特に、若かりし頃の二人が共に活動していた時期の話は、多くの参加者にとって新鮮で興味深いものでした。   また、座談会では、彼らが直面してきた政治的な困難や葛藤についても触れられました。榛葉氏は、自民党に対する思いを語り、「我々は政権のためではなく、国民のために何ができるかを考えてきた」と述べました。彼の言葉には、政治に対する真摯な姿勢が表れていました。   最後には、今後の政治に対する展望や、彼らがどのように国民の期待に応えていくのかについての意気込みが語られました。榛葉氏と細野氏は、自らの経験を活かし、より良い未来を築くために全力を尽くすと力強く宣言しました。   この爆笑座談会は、政治の裏側や人間関係を垣間見る貴重な機会となり、参加者たちは笑いと感動を胸に会場を後にしました。これからの彼らの活動に、ますます注目が集まることでしょう。

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