1991年10月1日、横浜市で小学3年生の野村香ちゃんが行方不明になるという衝撃的な事件が発生しました。当日、香ちゃんは自宅から540メートル離れた初動教室に向かう途中で姿を消しました。この事件は、30年以上経った今も解決されていない未解決事件として多くの人々の記憶に残っています。
事件当日は、運動会の振り替え休日で、香ちゃんは午後2時半頃に帰宅しました。両親は共働きで、香ちゃんは自宅で一人で過ごしていました。午後3時半頃、姉が帰宅した際、香ちゃんはまだ自宅で勉強をしていました。この時が彼女の最後の目撃となります。午後3時50分頃、香ちゃんは初動教室に向かうために外出したと推測されています。彼女は青と白のチェック柄の傘とピンクの長靴を身に着け、赤いバッグに所持品を入れて出かけましたが、初動教室には到着しませんでした。
午後5時頃、香ちゃんの母親が仕事から帰宅すると、玄関は施錠されており、香ちゃんの姿はありませんでした。母親は初めは心配せず、遅れているのだろうと考えていましたが、午後6時半頃に帰宅しても香ちゃんが戻らないことに不安を覚え、初動教室に電話をかけました。そこで香ちゃんが教室に来ていないことが判明し、事態は深刻化しました。
警察は事件発生直後から捜査を開始しましたが、目撃情報はほとんどなく、証拠も見つからないまま捜索は続けられました。特に雨によって物理的な証拠が消失したことが大きな障害となり、捜索は難航しました。事件発生から1週間後には、神奈川県警との合同捜査本部が設置され、捜査が強化されましたが、手がかりはほとんど得られませんでした。
捜査の中で、香ちゃんの行方不明に関しては様々な可能性が考えられました。例えば、香ちゃんが誘拐された可能性や、事故に遭った可能性も検討されましたが、どちらの可能性も証拠が不足しているため確定的な結論には至っていません。警察は周辺住民への聞き込みを行い、延べ13,000件以上の情報を集めましたが、重要な手がかりにはつながりませんでした。
事件から30年が経過した現在も、警察は特別捜査本部を維持し続け、香ちゃんに関する情報提供を呼びかけています。これまでに寄せられた約900件の情報や不審者情報は、一つ一つ精査されてきましたが、有力な証拠は見つかっていません。
犯人の正体や動機についても様々な仮説が浮上しています。事件の状況から、計画的な誘拐である可能性が高いとされ、犯人は香ちゃんの行動パターンを事前に把握していた可能性があります。また、周辺地域で不審者の目撃情報があったことから、地域に潜む犯罪者が関与している可能性も考えられます。
香ちゃんの失踪は、家族にとっても大きな影響を与えました。父親は会社を休職し、母親は仕事を辞めて自宅で待機を続けたものの、香ちゃんの帰りを待ち続ける日々は辛いものでした。家族は今も香ちゃんの帰還を信じ、日々の生活を送っています。
この事件は単なる未解決事件ではなく、多くの人々の心に深い傷を残し続けています。今後も捜査が続けられる中、香ちゃんの行方が明らかになることを願う声が高まっています。