近藤真彦 東山紀之に『退所の仕方に疑問が残る』と言われる程の因縁が今語られる…海で溺れる子の命を救った”近藤伝説”とは!?
近藤真彦さんの芸能人生は、さまざまなエピソードに彩られています。1977年にジャニーズ事務所に入所し、1979年に放送されたテレビドラマ『3年B組金髪先生』で大ブレイクを果たしました。しかし、彼の人生は栄光だけではなく、数々の試練にも満ちています。
最近、近藤さんは自身のInstagramで真冬の日本海での釣りの様子を投稿し、充実した日々を送っていることを報告しました。釣果としては、カサゴや真鯛などの魚を紹介し、冬の寒さを感じながらも楽しいひとときを過ごしている様子が伺えました。
彼の芸能人としての歴史を振り返ると、近藤さんは1964年に神奈川県で生まれ、小学校時代にはプロ野球選手を目指していたそうです。しかし、ジャニーズ事務所に履歴書を送ったのは、偶然のきっかけでした。その後、彼は『3年B組金髪先生』での出演を通じて、アイドルとしての道を歩み始めることになります。
1980年には映画『スニーカーぶる~す』で主演を果たし、主題歌で歌手デビュー。その曲はオリコンのウィークリーランキングで初登場1位を記録し、ジャニーズ史上初のミリオンセールスを達成しました。彼の人気は絶大であり、1987年には『愚か者』で第29回日本レコード大賞を受賞するまでに至ります。
しかし、彼の人生は波乱に満ちていました。1986年には母親が交通事故で亡くなり、さらにその翌年には遺骨が盗まれるという事件が発生しました。これに対し、近藤さんは受賞式に出席しており、後にこのことを知ることになります。彼は自身の判断で出場を決意したことを明かし、当時の心情を語りました。
近藤さんにはもう一つの伝説があります。それは、2004年に和歌山の海で溺れている小学生を救ったというエピソードです。彼はジェットスキーで男児に近づき、ライフジャケットを着せた上で海に飛び込みました。この行動は、彼の強い人間性を表しており、「一人の子供の命を救えたことがすごく嬉しい」とコメントしています。
しかし、近藤さんの芸能活動は、退所を巡る問題が影を落としました。2020年、彼の不倫が発覚し、その責任を取る形でジャニーズ事務所を退所しました。この際、後輩である東山紀之さんは、近藤さんの退所の仕方に疑問を呈し、彼に説明がなかったことに苦言を呈しました。東山さんは、近藤さんの自由気ままな姿勢と、自らを犠牲にしてきたスタッフの思いを比較し、複雑な感情を抱いていたようです。
近藤真彦さんの人生は、成功と失敗、喜びと悲しみが交錯するものです。現在は安定した生活を送っているようですが、彼の過去のエピソードは、多くの人々にとって今なお印象深いものです。彼の「近藤伝説」は、これからも語り継がれていくことでしょう。