元巨人でヤンキースGM付特別アドバイザーの松井秀喜氏(50)が米国から緊急帰国し、3日に肺炎のために亡くなった長嶋茂雄終身名誉監督と対面した。空港から直行し、4日午前4時57分、都内の恩師の自宅を訪れた。
【写真】帰国し弔問に訪れる松井氏は、三奈さんに頭を下げる
紺色のスーツに黒のネクタイ姿で訪れた松井氏を、次女の長島三奈さんが「おはようございます、松井さん」と出迎えた。
午前7時10分すぎに弔問を終えて、報道陣の取材に応じた。2時間を超える無言の対面となったが「2人きりでずっといろいろな思い出を呼びおこしていました。今にも目を開けそうな…意志のあるという風に見えました」。さらに「一番は感謝です。監督との出会い、縁がなければ松井秀喜の野球人生は全く違った野球人生だったと思う」と、目を潤ませながら語った。
松井氏は92年のドラフトで4球団が1位指名で競合。93年から巨人監督に就任することになっていた長嶋さんが、クジを引き当てた。師弟関係が始まると、入団からの1000日計画として、旧ジャイアンツ寮の一室でマンツーマンで直接指導し、素振りを繰り返した日々は伝説だ。ボロボロになった畳は“松井畳”として受け継がれ、後輩たちに多くの教えを授けてきた。
松井氏も12年の引退会見で、選手生活で一番印象に残っていることを「長嶋監督と2人で素振りした時間」と答えていた。「これだけ年が離れた選手の中で、長嶋茂雄を一番理解してるのは自分だと自負しているし、それをつないでいくのも自分かな。次の世代につなぐのが使命」。長嶋イズム継承への思いをそう語ったこともある。
松井氏は、長嶋さんが01年限りで監督を勇退して終身名誉監督となった後、02年オフにFA権を行使し、MLBへの挑戦を表明した。ヤンキースに移籍後、長嶋さんがニューヨークに観戦に訪れた際にも、マンハッタンのホテルで2人で素振りをする時間があったという。
13年には2人同時に国民栄誉賞を受賞。21年の東京五輪では王貞治氏(85)も加え、3人で開会式の聖火ランナーを担った。
松井氏は昨年5月3日の「長嶋茂雄DAY」と銘打たれた東京ドームでの阪神戦ではセレモニアルピッチを務め「プロ野球の歴史を振り返っても、必ず長嶋茂雄という名前は一番。私の中でも一番、大きな存在。今年はジャイアンツが90周年ですが、100年たっても、150年、200年たっても、長嶋茂雄という名前は語り継がれると思います」と語っていた。