「チ。」ラファウ、オクジーら知性の敵対者・異端審問官ノヴァクはどうして残酷になれるのか?

敵キャラにスポットを当てる「敵キャラ列伝」第51弾は、『チ。 ―地球の運動について―』のノヴァクの魅力に迫ります。

『チ。 ―地球の運動について―(以下チ。)』は、特定の主人公がおらず、時代に応じて中心となるキャラクターが交代していく、一風変わった構成の作品だ。

しかし、それらのキャラクターに相対する敵役は変わらないのだ。本作の敵役となるのは、いつの時代でも異端審問官のノヴァクである。天動説が支配する時代に地動説を研究する人々を追い詰める彼は、時に苛烈な拷問を浴びせ、C教の規範を守ろうと必死である。

ひどく残忍なことばかりしている男だが、実際のところ彼はとても善良な父親で、真面目な仕事人でもある。どうして本作においてこのような敵役が設定されているのかを考えると、ノヴァクは本作の「裏テーマ」を背負うとも言える、非常に重要なキャラクターだと見えてくる。このような凡庸で残忍な人間が敵役に据えられている意味を考えてみたい。

■変化する主人公と変化しない敵役の対立

『チ。』の最初の主人公は12歳のラファウだ。この年で大学進学を予定し、神学を専攻するつもりでいた神童は、ある時、地動説を研究していたフベルトに出会い、世界の真理の探究に邁進することになるが、後にノヴァクに捕まってしまう。

牢獄でラファウはノヴァクにこう言う。

「敵は手強いですよ。あなた方が相手にしてるのは僕じゃない。異端者でもない。ある種の想像力であり、好奇心であり、逸脱で他者で外部で……畢竟(ひっきょう)、それは知性だ」

場面カット(C)魚豊/小学館/チ。 ―地球の運動について―製作委員会

そう。この物語の真の主人公は人ではなく、好奇心や知性である。ラファウの言葉を借りれば、それは「流行り病のように増殖」し、「組織が手なずけられるものじゃない」のだ。だから、人物が入れ替わっていくことにも意味があるのだ。

一方で、ノヴァクは、異端審問官をしている理由をこう語る。彼には4歳の娘がいて心の底から愛している。そして、娘には辛い目にあってほしくないと思っている。そのため「この世の平穏を乱すような研究を見過ごせない」のだ。

もう1つ、彼は「不安」という言葉を口にしている。娘が生きる世界の平穏が乱されるかもしれないという不安、それを取り除くためなら、「なんだってする」とノヴァクは言う。つまり、ノヴァクは今の価値観が変わらずにいてほしいと思っているということだ。

「なんだってする」の言葉通り、実際に彼は大変に残酷な拷問を繰り返し続ける。異端者は、娘の生きる平穏な世界を乱す輩であり、それをひたすら「真面目に」こなし続けるのだ。

場面カット(C)魚豊/小学館/チ。 ―地球の運動について―製作委員会

時代が代わり主人公が変わり続けても、彼の行動原理はまったく変わらない。ひたすら異端者を狩り、拷問して別の異端者を吐かせる。ノヴァクの一貫した姿勢は、C教の教えは正しく疑うべきものではないというものだ。信仰心の厚い男であり、宗教家として模範的かもしれない。その代わり、彼はその信仰する対象に間違いがあるかもと疑うことをしない。

わかりやすく言うと、ノヴァクというキャラクターは「自分が間違っている可能性」を肯定する姿勢がない。対して、この物語の主人公たちにはそれがある。ラファウは神学から天文学へと興味が映るし、第二の主人公オクジ―は元々学のない人間だったが、C教の唱える天動説に疑問を持つようになる、その後に彼らの意思を継ぐ人々は、皆、どこかで自分の考えを翻す瞬間が必ず描かれている。

場面カット(C)魚豊/小学館/チ。 ―地球の運動について―製作委員会

自分の間違いを認められるものが主人公で、間違いを認められないか、そもそも間違いの可能性を考えない者が敵役。『チ。』はそういう対立構図を描いている。

好奇心や知性は止められない。自由を希求する想いも止められない。たとえ死んでも、誰かがその意思を受け継ぐ。対して不安を抱えた人々は、いつまでも変わらずに古いものに固執し続ける。だからこそ、敵役としてノヴァクが出ずっぱりなことで、「変わらない人」を象徴し、変化を恐れない人々を象徴するために主人公は交代が続く。主人公交代制と敵役の固定制の物語構造そのものが、作品のテーマに直結しているのだ。

場面カット(C)魚豊/小学館/チ。 ―地球の運動について―製作委員会■残忍=悪役なのか?

ノヴァクという男は、なにもC教全体を守る使命感に駆られているわけではない。彼は、ただ娘と家族を守りたいだけの「善良」な父親である。ただ、純粋なその家族愛が、どんな些細な不安も見逃せなくなった結果、異端者狩りに至っている。拷問に関しても何も感じていないわけではない、ただ、数多く拷問したせいで感覚が麻痺して慣れているに過ぎない。

その意味で、彼はいたって凡庸な人間である。どこにでもいる子煩悩な親でしかない。どこにでもいる男が残忍な行動を取っていると描いているのが、本作の鋭い部分といえる。不安に駆られた人間はなんだってできてしまうのである。

私たちは、残忍な人間は最初から残忍なんだと思いがちだが、そんなことはないのだ。大抵の残忍な人間は、案外普通だったりする。それはステレオタイプな見方で、彼にも彼なりの守りたいものがあって行動している。ただ、人間を悪魔化して切り捨ててしまうのでは、既存の常識に縛られているだけだ。それでは、地動説を研究する人間を悪魔と決めつけるノヴァクと本質的に変わらない。

本作のテーマをどれだけ深く見つめることができるかは、このノヴァクという男をどう理解するのかにかかっていると思う。残酷なことをするやつが必ずしも悪人とは限らない。その複雑さに目を向け、人間という存在の奥深さを探求することの大切を教えてくれるキャラクターがノヴァクなのだ。

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