女優で冒険家の泉正子さんが、2025年7月9日に77歳で急逝したことが報じられ、彼女の生涯にわたる冒険と孤独の晩年が改めて注目を集めている。泉さんは、日本人女性として初めて北極点に到達したことで知られ、その人生は映画界と冒険の両方で数多くの伝説を残した。
1947年7月31日に生まれた泉さんは、10代で日活の看板スターとなり、吉永小百合さんや松原智恵子さんと共に「日活三人娘」として一世を風靡した。しかし、華やかな銀幕生活の裏には、より広い世界を求める冒険心があった。36歳で南極ロケに参加し、極地探検への道を切り開くこととなる。1989年には、厳しいブリザードの中をスキーと犬ぞりで北極点に到達し、日本人女性として初めての偉業を達成した。
泉さんは、人生の大半を独身で過ごした理由について、厳格な恋愛禁止の規則や母親の影響、そして冒険家としての夢の追求を挙げている。特に、北極遠征の資金調達に追われる中で、家庭を持つことが冒険に支障をきたすと考え、独身を選んだという。彼女は、結婚はしなかったが、「北極という伴侶がいた」と語り、ユーモアを交えた言葉が多くの人々に感銘を与えた。
晩年の泉さんは、病気に苦しみながらも、静かな生活を望み、自宅で絵を描きながら過ごしていた。最期の数週間は、北海道の自宅で静かに過ごし、家族に見守られながら息を引き取った。彼女は「北極の夜空を見上げた時の星の瞬きを忘れないで」と微笑んだとされ、その言葉は多くの人々の心に残っている。
泉さんの葬儀は行われず、彼女は生前に親しい友人とお別れの会を開くことを希望していた。彼女の生き方は、終わりよりも途中を祝うべきだという独自の姿勢を反映している。最後の言葉には、「私の遺灰は北極の氷ではなく、私の第2の故郷に撒いてほしい」と記されており、自然との深い絆が彼女の人生を貫いていた。
泉正子さんの人生は、冒険と芸術、そして人間関係の複雑さを映し出しており、彼女の存在は多くの人々に勇気とインスピレーションを与え続けるだろう。彼女の最後の瞬間まで、冒険心と自然への愛情は変わることなく、彼女の心の中で生き続けていた。